それぞれの個性がつまった第五福竜丸ができました!
8月20日(土)伊勢市大湊町 ゴーリキマリンビレッジにて、「牛乳パックでつくる第五福竜丸~第五福竜丸から学ぶ平和 想いをつなごう~」企画を開催し、大人16名、子ども18名が参加しました。
このイベントは伊勢と関わりが深い第五福竜丸を子どもたちが牛乳パックでつくり、工作をしながら当時の船大工や大湊の人たちの想い、平和についてを学び考えてもらえるよう(株)ゴーリキ、東京都立第五福竜丸展示館のご協力のもと、企画されました。
第五福竜丸は1954年3月1日未明にマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄(はえなわ)漁船です。東京都立第五福竜丸展示館 安田和也さんより、当時の水爆の威力はヒロシマに投下された原爆の一千倍ともいわれていること、一千隻の船が被害を受けたことなどのお話を聴きました。
また、レクプラ 阪本典子さんによる紙芝居「わしのだいじなふね第五福竜丸」、絵本作家の二見正直さんによる絵本「もっとおおきなたいほうを」を読み聞かせてもらいました。子どもたちは第五福竜丸のたどった運命や王様ときつねのくらべっこに耳を傾けていました。
第五福竜丸の工作では、それぞれ子どもたちの個性がいっぱいの船ができあがりました。「へいわのせかいを」「輝」など、思いおもいの文字を入れ、学んだことを自分の船に込めました。
できあがったそれぞれの第五福竜丸は、プールに浮かべて競争しました。
世界が平和になることをみんなで願い、第五福竜丸を走らせていました。
参加者の声から
〇子どもたちのために、平和な未来を残したい
〇第五福竜丸と伊勢の関わりを初めて知った。
子どもたちの感想
〇第五福竜丸を初めて知った。楽しいだけじゃなくて勉強になった。
〇習った漢字や船っていう漢字を書いて船っぽくしたかった。
〇たくさん飾りをしてキラキラにしたかった。キラキラにしたらみんながキラキラするから。
〇自分で考えてつくる工作がしたい。
〇大きくなったら使える道具も増えてくるからくぎやダンボールも使いたい。
第五福竜丸とは: 第五福竜丸は 1954年3月1日未明、赤道の北に位置するマーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の木造の遠洋マグロはえ縄漁船です。爆心地より160km東方の海上で操業中、実験により生じた「死の灰」(放射性降下物)が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員23人は全員被ばくしました。無線長だった久保山愛吉さんが半年後に亡くなり、急性障害を乗り切った乗組員も苦難を強いられました。ほかの漁船が水揚げしたマグロの汚染も判明し、国民の不安は頂点に達し原水爆禁止運動につながっていきました
その後、第五福竜丸は伊勢市大湊の強力造船所での改造・補修され、「はやぶさ丸」として名前を変え、練習船として東京水産大学(現:東京海洋大学)で使われた後廃船となりました。終戦当時に建造された木造船の中で唯一現存する木造船として、現在は東京都立第五福竜丸展示館で展示・公開されています。
東京都立第五福竜丸展示館で展示・公開されている『第五福竜丸』