コープみえ20周年企画
“あの日を語ろう、未来を語ろう” 今を生きる若者たちの言葉を聴き震災と私たちの未来を考える
元中学校教諭の佐藤敏郎(さとうとしろう)さんをナビゲーターに東日本大震災当時、子どもだった若者たちが被災からのこの11年間に経験し考えてきたことを語る場として、語り部で活動する紺野堅太(こんのけんた)さん、清水葉月(しみずはづき)さんを招き3月4日(土)アスト津において“くらしあんしん講座”「防災学習会」をオンライン・会場参加で開催しました。
いつ起こるか予測できない大震災に向けて起こった事実を教訓に、今回の学習会に参加されたみなさんと一緒に震災を忘れないこと、未来に向けてわたしたちにできることは何かと学ぶ機会となりました。


≪語り部:紺野さんのお話から≫
東日本大震災の津波に襲われた被災地の中、岩手県釜石市の当時中学1年生だった紺野さんは小中学校の児童生徒と一緒に避難し、約600人が逃げ切ることができました。その体験から「釜石の奇跡」とのちの報道で大きな反響を呼びました。多くの知人や家族を失った悲しい事実と“奇跡”という言葉に違和感を抱えながら大人になった紺野さんは、未来に向い何が“奇跡”につながったのかを語られました。
紺野さんからの防災を考える
1.被害範囲を知る 2.普段からの徹底した訓練 3.津波てんでんご
※津波が来たら家族がてんでバラバラでもとにかく逃げる
ハザードマップはあくまでも想定であり、それ以上の被害があることを日ごろからの準備で備えることが重要と教えられました。



≪語り部:清水さんのお話から≫
福島県浪江町の当時高校2年生だった清水さんは、授業中の緊急地震速報から避難し「原子力発電所が危険、逃げなさい」の言葉から千葉県の親戚へと身をおくことになり高校を転校しました。
親族は福島に残り清水さんは友だちもいない、また原発事故による偏見を感じた中で、学校の先生や同級生に震災の経験を話すことで気持ちの整理がつきました。心が少し楽になった自身の体験から同じような経験で苦しんでいる子どもたちを救いたいとボランティア活動をしています。
“つながりや関係性こそが日常でも命を救う”と教えられました。
現在政府では、「南海トラフ巨大地震」についてハザードマップの見直しが行われています。予測できないことを前提に次へつなげることやひろめていくことをめざしていきます。
※コープみえでは、これまでに災害協定を16市町と締結しています。