第五福竜丸から平和の願いを
1954年、アメリカの水爆実験により被災した木造のマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」は、除染後、伊勢市大湊の強力造船所で大学の練習船「はやぶさ丸」として改装されました。
船の建造から70年になるのを機に、この船が語る核兵器の怖さ、平和の大切さ、当時の船大工や大湊の人たちの思いを聴き学びあおうと、講演会「伊勢と第五福竜丸」が、6月10日(土)伊勢シ ティプラザにて開催され、約200名の方が参加いただきました。
講演は、第五福竜丸展示館(東京都江東区)の主任学芸員・安田和也さんから、第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁で被曝し、死の灰を浴びた歴史などについてお話いただきました。
続いて、第五福竜丸の改装を引き受けてきた伊勢市大湊の強力造船所(現・ゴーリキ)の強力修会長と、船の設計や改修に携わった技師、木村九一さんと吉岡雄毅さんのお二人が登壇し、周辺住民からの反発も受け、また放射能の不安も持ちながら、船の改装をやり遂げてきたことを振り返りお話しいただきました。
講演の最後には、鳥羽商船高専一年の釜谷優来さんから、中学の修学旅行で第五福竜丸展示館を訪問しての感想と思いが発表され、「船の歴史や千羽鶴を見て平和への思いを抱いた。伊勢の私たち若い世代が知り学ばなければいけない歴史…」と語られました。
会場には、第五福竜丸とビキニ事件をたどる写真パネルの展示もありました。
今回の講演会「伊勢と第五福竜丸」は、公益財団法人第五福竜丸平和協会、株式会社ゴーリキ、生活協同組合コープみえの主催で行われました。
【第五福竜丸の被曝】
1954年3月1日、太平洋で操業中、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた米国の水爆実験で被曝。乗組員23人が放射性物質を含む「死の灰」を浴び、無線長だった久保山愛吉さん(当時40)が、原水爆の犠牲者は私を最後にしてほしい言い残し死亡した事件。この3月1日をビキニデーとして第五福竜丸の地元の静岡県焼津を中心に核兵器廃絶や平和を願う集会が毎年開催されています。