平和への想いをつなぐ「牛乳パックで作るうごく第五福竜丸」開催
2025.08.08
今年終戦80年を迎える8月3日(日)、コープみえは平和への願いを込め「牛乳パックで作るうごく第五福竜丸」を開催しました。これまでも様々な平和活動を通じて、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え続けてきました。今回のイベント企画もその一環であり、次の世代へ平和の大切さを感じてもうための機会としました。
このイベントは、伊勢市ゴーリキマリンビレッジを会場に、㈱ゴーリキ、みえ医療福祉生活協同組合の共催、後援に伊勢市教育委員会の協力のもと開催をしました。当日は12組31名(子ども16名大人15名)が参加し、第五福竜丸が被った物語を通じて、子どもから大人までが平和について深く考える時間となりました。

第五福竜丸と三重県との歴史的なつながり
広島や長崎の原爆投下は広く知られていますが、地元三重県にも核の問題が関係していました。
マグロ漁船の第五福竜丸は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験よって乗組員23名が船と共に被ばくしました。日本に戻ってきましたが放射線を除去するための検査や除染が行われた後、三重県伊勢市大湊町にある強力造船所(現:株式会社ゴーリキ)で改造されました。
この改造によって第五福竜丸は、東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として生まれ変わりました。
また、廃船になった後エンジンは別の船に再利用されましたが、この船が濃霧のため三重県熊野灘で座礁し沈没しました。市民の呼掛けで引き上げられ現在は、東京都立第五福竜丸展示館に設置されています。
東京都立第五福竜丸展示館には、国内の学生が社会見学などに訪れるそうですが、とりわけ三県県からの学生が一番多く来場されていると話の中で伺いました
牛乳パックで作るうごく第五福竜丸
都立第五福竜丸展示館の安田和也氏より、第五福竜丸の船の概要と被害の実態についての講演やレクプラ代表の阪本典子氏が紙芝居の読み聞かせを実施し、子どもも大人も物語に引き込まれる様子が見られました。その後、子どもたちは第五福竜丸に見立てた船づくりの工作に取り組みました。



資料を確認しながら職員やスタッフの補助を受け、子どもたちは船のパーツを一つずつ組み立て、自分だけの第五福竜丸を完成させました。小さなお子さんには、少し難しかったかな?
子どもたちが船づくりを楽しむ一方で、保護者の方々には別室で現在も続く世界の核問題に関する映像や資料を見て学んでいただき平和の重要性について深く考える時間を持ちました。






最後は子どもたちが作った「牛乳パックで作る第五福竜丸」の“進水式”が行われ、船の進行を競う子どもたちの笑顔が会場にあふれました。㈱ゴーリキの強力会長からは、速かった船を作った子どもたちにプレゼントが贈られ、会場は拍手で包まれました。イベント終了後には、ゴーリキマリンビレッジ特製の美味しいカレーライスを囲み、和やかな雰囲気の中で交流を深めました。
そして昼食後、ゴーリキマリンビレッジに併設している一般社団法人ハンザ・セーリング・ジャパン主催による初めての企画、ヨット体験とロープワーク体験を開催しました。ヨット体験でははじめに指導者からヨットの進行を調整する舵や風の方向を子どもたちが学んだあと、保護者を乗せて子どもたち自らヨットの操縦を。はじめは不安なようすが見受けられましたが時間が増すごとに自信に満ちた表情となっていました。ヨットの帆を操る子どもたちのたくましい姿は、参加した保護者の皆さんに大きな感動を与え、親子の絆を深める貴重な時間となりました。


「うごく第五福竜丸」を通じて、過去の悲劇を忘れず、平和な未来への願いを新たにした一日となりました。
≪参加者の声≫
・紙芝居がとても子どもにわかりやすい内容でよかった。
・漁船には若い世代が多く乗っており被害に遭ったことを知りました。戦争もそうだが若い命が消えていたことに心が痛みます。
・工作が楽しかった。上手に作れたと子どもが喜んでいました。
・今日体験したことを夏休みの宿題にします。
・地元にも核の問題に触れた話があることをはじめて知りました。
・ヨット体験から子どもの成長をみれて親としては嬉しく感じた。